『レインボーKids』第1回 レインボーキッズとは誰か?
はじめに
『レインボーKids』は2017年に子どもの未来社から出されたマンガで、マンガを手丸かのこ、解説/監修を金子由美子が担当している。
このマンガがTwitterで多少話題になった。その発端となったのは、私が確認した限りでは、以下のやり取りだと思われる。
『レインボーKids』
— レインボーフォスターケア(RFC) (@rainbowfoster) 2017年11月20日
全ての小中学校の保健室に置いてほしい!すごくリアルでわかりやすい。
(画像は『季刊セクシュアリティ』最新号遠藤まめたさんの書評) pic.twitter.com/PlpMI7TtGP
子供にレインボーキッズなどというレッテルを貼ることがいかに残酷なことかこの連中はまったくわかっていない。子供を政治利用するためなら子供が傷つくようなことを平気でやる人間が「子供のため」を口にするおぞましさ。 https://t.co/jKQlRsD1gJ
— ジャックの談話室 (@jack4africa) 2017年11月21日
ちなみに、レインボーはLGBTの子どもを指しているんじゃないんだけど自意識過剰だよね。読んでねえだろ。 https://t.co/vjPpRHGcqm
— 遠藤まめた@教科書にLGBTを! (@mameta227) 2017年11月21日
これを読み、「レインボーキッズ」という語がいったい何を指すのか気になった。そこで、この本を読むことで、「レインボーキッズ」の意味を探ってみたい。
今回は「レインボーキッズ」という語が用いられている箇所に着目することで、その意味を検証してみたい。
この本において、「レインボーKids(kids)」「レインボーキッズ」の語が使われているのは、以下の3か所である。
1、表紙
2、「はじめに」(pp.1-2)
3、「教えて!金子センセ」(p.141)
この3か所で、どのようにこの語が用いられているか順に見ていく。
1、表紙
表紙はこのようになっている。
しかも表紙がこれであり、「知ってる?LGBTの友だち」と「レインボーkids」の上からフキダシを出しています。
— 熊野海斗 (@kumanokaito) 2017年11月25日
たとえ他の解釈が可能だとしても、レインボーキッズはLGBTの子だと受け取られる可能性は、極めて高いと言えるでしょう。 pic.twitter.com/byjK9vfw9R
つまり、『レインボーKids』というタイトルの上から、「知ってる?LGBTの友だち」というフキダシが出ている。
これだけを見た場合、「レインボーKids」=「LGBTの友だち」と受け取られる可能性が高い。というよりも、それ以外の解釈の仕方をするのは、難しいように思われる。
2、「はじめに」
この箇所は、このようになっている。
実際に、本の説明を読むと、レインボーキッズとは「LGBTの子どもたち」と解釈できると思うのですが、どうでしょう。 pic.twitter.com/QdkMNHNiC7
— 熊野海斗 (@kumanokaito) 2017年11月25日
ここから、「レインボーKids(kids)」「レインボーキッズ」の語が用いられている部分を抜き出してみる。
A「レインボーキッズたちは虹の架け橋」(p.1)
B「この本のタイトルをレインボーkids(虹色の子どもたち)にしたのは、虹色は、「いろいろな性の人たちがいる」ってことや、「差別しないで」というマークとして使われているからです。」(p.1)
C「レインボーkidsと友だちになれば、それまであなたが気づかなかったことや、もしかしたら困らせていたことを教えてくれます。もっともっと本音でつきあえたならば、あなた自身もホッとすることがあるかもしれません」(p.2)
D「レインボーkidsの仲間たちは、虹色の架け橋となり、世界中をつないでくれることでしょう。」(p.2)
E「レインボーkids、All the best! 虹色に輝け子どもたち、あなたらしく、わたしらしく、自分らしく!」(p.2)
以上、「キッズ」「kids」の表記を合わせて計5回使われている。これらを順に見ていこう。
A「レインボーキッズたちは虹の架け橋」
まずAは「はじめに」の文章のタイトルである。5回のうち、これだけが「キッズ」とカタカナ表記になっている。
B「この本のタイトルをレインボーkids(虹色の子どもたち)にしたのは、虹色は、「いろいろな性の人たちがいる」ってことや、「差別しないで」というマークとして使われているからです。」
Bは、レインボーkidsの意味を知るうえで重要となる記述である。この文で、「レインボーkids(虹色の子どもたち)」と書かれている。よって、「レインボーkids」とは「虹色の子どもたち」だといえる。
では虹色とは何か。Bには、「いろいろな性の人たちがいる」「差別しないで」というマークとして使われているとある。さらにBの前の3文においても、虹色の説明がある。
虹は、日本では、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色で表されているけれど、色と色の間は、よーく見ると、さまざまな色が並んでいるんですよ。
じつは、人間の性も、虹と同じなんです。男だ・女だと、はっきりくっきり色が見えなくても、自分らしい色を持っている人たちがいるのです。
(p1)
これを読むと、「虹色」とは、「人間の性」のことに関するものだと理解できる。
虹というのは、七色で表されるが、はっきり見える七色のそれぞれの色と色の間にはさまざまな色が並んでいる。
人間の性が虹と同じだというのはどういうことか。男・女と表されている、はっきり見える性の間に、さまざまな性が並んでいると考えるのが妥当だろう。そうすると、「色」という比喩で表されているものは、「性」のことだと考えられる。
よって、上記の引用の最終部分は、「自分らしい性を持っている人たちがいるのです。」と言い換えることが可能である。
これを踏まえてBを読むと、「レインボーkids」とは、「男・女というはっきり見える性を持つ子どもたちと、男と女の間にある様々な性を持つ子どもたち」と解釈できる。
これで「いろいろな性の人たちがいる」という「マーク」の意味は伝わるが、さらに「マーク」のもう一つの意味として「差別しないで」というものが挙げられている。「差別しないで」と言うからには、何らかの差別が存在することが示されている。この差別とは、文脈及び、「マーク」というのがレインボーフラッグを指していると思われるということを考えて、「男・女というはっきり見える性を持つ人々」から「男と女の間にある様々な性を持つ人々」への差別だと考えるのが適切だろう。とりあえずここでは、これをLGBT差別と呼ぶことにする。
ではレインボーkidsは、LGBT差別に対して、どのような関わり方をするのだろうか。つまり、レインボーkidsが、「差別しないで」と呼びかけるのか。それとも、「レインボーkidsたちを差別しないで」と、筆者たちが呼びかけているのか。
これによって、レインボーkidsの意味が変わってくる。前者の場合、レインボーkidsとは、いわゆるアライ的な子どもたち及び、LGBT等の子どもたちのうちLGBT差別に抵抗・反対するような子どもたちだということになる。
しかし後者の解釈であると、レインボーkidsとは、すべての子どもたちだということになる。だが、男・女というはっきりとした性をもつ子どもたちはLGBT差別の対象にはなり得ない。そうなると「レインボーkids」とは、「男と女の間にある様々な性を持つ子どもたち」と考えることができる。ただし、これだと「虹」の説明と矛盾が出てくる。「虹」には、色と色の間の曖昧な色だけでなく、はっきりと表される7色も含まれる、すなわち、はっきりとした男・女も含まれるためである。
したがって、Bの記述からは、「レインボーkids=アライ的な子どもたち及び、LGBT等の子どもたちのうちLGBT差別に抵抗・反対するような子どもたち」ということが読み取れる。
C「レインボーkidsと友だちになれば、それまであなたが気づかなかったことや、もしかしたら困らせていたことを教えてくれます。もっともっと本音でつきあえたならば、あなた自身もホッとすることがあるかもしれません」
Cの記述を見ても、先ほどの「レインボーkids=アライ的な子どもたち及び、LGBT等の子どもたちのうちLGBT差別に抵抗・反対するような子どもたち」という解釈は適切だと思われる。
「もしかしたら困らせていたことを教えてくれます。」の文が、いったい誰を困らせていたのかが曖昧かもしれない。しかしCの前には「『LGBT』の子どもたち」についての記述があることから、LGBTの子どもたちを困らせていた、という解釈でいいだろう。
また「『LGBT』の子どもたち」という表現とは別に、「レインボーkids」を使っていることからみても、レインボーkids=LGBTの子どもたち、ではなく、先ほどの解釈が良いといえる。
D「レインボーkidsの仲間たちは、虹色の架け橋となり、世界中をつないでくれることでしょう。」
Dでは、レインボーkidsが、「虹色の架け橋となり、世界中をつな」ぐであろうことが述べられている。「虹色の架け橋」とは何を意味するのだろうか。この語は、この「はじめに」の文章のタイトルにも使われており、重要なキーワードだといえる。
「虹色」は、Bの箇所で見た通り、「男女及びその間の様々な性を持つ人たちがいる」「差別しないで」ということとわかる。「架け橋」であるから、つまり何かの橋渡しをすることになる。つなぐのは「世界中」となっている。
ここで、Dの直前の1文に「世界」という語が見られるので、それを検討しよう。この文は、Cから続いているので、「レインボーkidsと友だちになれば」を文頭に補うことができる。
( レインボーkidsと友だちになれば)見えるもの、聞こえること、感じる力にも変化が訪れ、レインボーのおとなが創造した芸術や文学への理解も深まり、新しい世界が広がるはずです。(p.2)
ここで言われている「世界」とは、地球上のすべての国や地域といった意味でなく、自分の見聞や認識の及ぶ場、といった意味である。
ところで「レインボーのおとな」という、気になる語が登場してきた。これは、レインボーkidsの定義を踏まえると、 「アライ的なおとな及び、LGBT等のおとなのうちLGBT差別に抵抗・反対するようなおとな」だと説明できる。
レインボーkidsと友だちになり、LGBTに関することを教えてもらえれば、そのような大人がつくった芸術や文学への理解が深まるというのも納得でき、筋も通っている。
そうするとDの内容はこう解釈できる。
レインボーkidsは、友だちになった相手にLGBTなどの知識を教える。それによって、周りの人に、ものの見方や感じ方についての影響を与え、レインボーのおとながつくった芸術や文学への理解を深める。このようにして、まわりの人々の見聞や認識の範囲を広げていく。
E「レインボーkids、All the best! 虹色に輝け子どもたち、あなたらしく、わたしらしく、自分らしく!」
最後のEであるが、ここは特にレインボーkidsが何なのかという手がかりになるような記述は見当たらない。
まとめ
以上より、「はじめに」の部分から導かれるのは、「レインボーkids= アライ的な子どもたち及び、LGBT等の子どもたちのうちLGBT差別に抵抗・反対するような子どもたち」という解釈であった。
3、教えて!金子センセ
この本は、マンガと文章から成り立っている。マンガは4本あり、それぞれL・G・B・Tの子どもが登場する。文章の部分は「はじめに」と「教えて!金子センセ」というものがある。
「教えて!金子センセ」は、「金子センセ」という養護教諭が、マンガのキャラクターからの質問に答える形のものと、語句や学校での対応についてなどを説明する部分から成っている。
そのうち、「生まれ変わったら今度は男がいいかな?なんか得してそう。」(p.141)という質問に対する回答に、「レインボーキッズ」という語が登場する。
その質問に対する養護教諭の回答をまとめてみると以下のようになるだろう。
人間の性は、男か女かという簡単なものではない。身体の性は遺伝子によって決まる。しかし、心の性は身体の性と一致していない人もいる。思春期には二次性徴が始まり、その現れ方は個人によって違う。
そして、最後に以下のような文章で結ばれる。
人の性は、みんな違って当然で、だからこそ個性的で素敵なの。だから男か女かより、「その人らしく」が、これからのレインボーキッズの生き方じゃないかしら。
では、「レインボーキッズ」の意味を考えてみる。
まず、この質問をしたのは芽衣というキャラクターであり、芽衣はマンガの内容から、シスジェンダーでヘテロセクシュアルの女子だと読み取れる。
この芽衣に対して「これからのレインボーキッズの生き方じゃないかしら」と言っているということは、やはりレインボーキッズとは、LGBTの子どもたちだけでなく、非LGBTの子どもも含むと考えられる。
また、レインボーキッズの生き方として、「男か女かより、「その人らしく」」生きることが示されている。
このことからも、「レインボーkids= アライ的な子どもたち及び、LGBT等の子どもたちのうちLGBT差別に抵抗・反対するような子どもたち」という定義は妥当だと考えられる。
おわりに
以上より、レインボーkidsとは、「 アライ的な子どもたち及び、LGBT等の子どもたちのうちLGBT差別に抵抗・反対するような子どもたち」と考えるのが妥当だという結論に達した。
ただ、これは「レインボーキッズ」「レインボーkids(Kids)」という表記がある部分のみに着目して得られた結果である。この語句がマンガ内には1回も使われておらず、メインであるマンガ部分に触れずに、結論を下していいのかという疑問は当然出てくる。
よって、次はマンガ及び、「教えて!金子センセ」の今回触れなかった部分など、本全体を視野に入れて、レインボーキッズの意味を探っていきたい。